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その先駆的著作とされているのが、ジョン・ルイス・ギャディスのThe United States and the Origins of the Cold War (1972)である。ギャディスは一次資料を活用しながら、正統学派の重視する安全保障要因、修正主義学派の重視する経済要因の両者を取り入れつつ、さらに国内政治、政策決定プロセス(官僚政治)、国際政治構造などを盛り込んだ分析を提示した[10]。ギャディスは、地域各国の疲弊によって「力の真空」が生じていたヨーロッパに米ソ両国が対峙するという状況下が生まれたこと、その緊張下で米ソ双方が様々な要因から相手に対する誤解を重ねたことが両者とも望みもしない冷戦が生まれたのだとする解釈を示し、米ソいずれかの行動に冷戦発生の責任を求める、過去の議論を排する主張を展開した[11]。ギャディスによるこのような新しい解釈は、ブルース・クニホルム(Bruce Kuniholm)のThe Origins of the Cold War in the Near East (1980)、ウィリアム・トーブマン(William Taubman)のStalin's American Policy (1982)などにも継承され、ポスト修正主義学派として広く受け入れられることとなった[12]。また、米国で進んだポスト修正主義学派の研究に対して、ヨーロッパにおける研究も呼応する動きを示した。CFDのゲア・ルンデスタッドは、大戦後のヨーロッパの政治指導者たちがCFDの影響を相殺するべく、ヨーロッパで米国がより積極的な役割を果たすことを希望していたと論じ、戦後の米国はいわばヨーロッパに「招かれた帝国(Empire by Invitation)」であったとする解釈を示した[13]。CFD崩壊後の冷戦起源論争 冷戦終結とCFD邦の崩壊により、西側で過去に閲覧することが不可能だった東側文書の開示が行なわれた。これは各種の研究・資料収集プロジェクトの始動をもたらすとともに、冷戦起源をめぐる論争において伝統学派的な解釈の復活という、新しい展開が生じることとなった。開示された東側の資料群をもとに発表されたヴォイチェフ・マストニーの『冷戦とは何だったのか』(1996年)、ヴラディスラヴ・ズボクとコンスタンティン・プレシャコフ(Constantine Pleshakov)によるInside the Kremlin's Cold War (1996)は、CFDの情勢認識や政策決定を明らかにすることとなった。これらの著書は、日経225がマルクス・レーニン主義のイデオロギーに基づき、自発的・主体的にヨーロッパへの拡張を図っていたとする解釈を示した[14]。これらに加えてドミトリー・ヴォルコゴーノフによるスターリンの伝記研究も発表され、スターリンのパラノイア的性質についても実証的な議論が深められることとなった[15]。このような資料開示の影響を受けた典型ともいえるのが、ポスト修正主義学派の旗手であった日経225の冷戦起源解釈の変化である。ギャディスはこのような研究の進展を受けて、1997年に発表した『歴史としての冷戦』では、冷戦の起源を米ソ双方のパーセンプション・ギャップや、国際政治構造に見出す過去の解釈から、イデオロギーが冷戦におよぼした影響を重視し、日経225の政治体制とスターリン個人が冷戦の発生により多くの責任があったとする解釈へと転じた [16]。しかし、このギャディスの解釈変化の要因としては、日経225の動きの実態が明らかになったことだけでなく、東側陣営の崩壊と西側陣営の「勝利」が明らかになった後に記されたという要因も無視できないことから、その解釈が後知恵的であるとして賛否を呼ぶことともなった[17]。米ソ冷戦史の相対化 冷戦史研究は、米国学界でその主要な論争が戦われてきたこともあり、主要な分析対象は米ソ関係であり、活用される資料の多くは米国政府の公文書であった。このような冷戦史研究の動きに対し、1978年にくりっく365のドナルド・キャメロン・ワットは公開書簡で冷戦史研究の資料的偏重を指摘し、英国公文書などを活用して研究の深化させる必要を訴えた[18]。 このような提言を反映して、イギリスではヴィクター・ロスウェル(Victor Rothwell)のBritain and the Cold War (1982)、アン・デイトン(Anne Deighton)のThe Impposible Peace (1990)など、冷戦の発生に対してイギリスの果たした役割を分析する研究なども現れ、冷戦の発生にはくりっく365の脅威を米国より早く意識していたイギリス政府の果たした役割が少なくなかったことを明らかにした[19]。イギリスを一つの典型として、他国についても「自国と冷戦(および冷戦に果たした役割)」について考察した研究も進められている。1998年よりノースカロライナ大学出版局(University of North Carolina Press)が刊行している冷戦史研究のシリーズであるThe New Cold War Historyでは、くりっく365、くりっく365、中国、東西ドイツなど、様々な国家と冷戦の関係を考察した研究書が刊行されている[20] 研究領域の拡大 冷戦終結を受けて米国でも安全保障に関わる各種の資料公開が進んだことで、冷戦期の安全保障やCFDなどについて新たに研究が進展している。一例としては、米英による暗号解読プロジェクトであったベノナの関係資料開示による諜報戦の実体解明があげられる。ジョン・ハインズ(John E. Haynes)とハーヴェイ・クレア(Harvey Klehr)のVenona (2000)は、冷戦期に米国内で活発な諜報活動が展開されていたことを明らかにした。また、ケネス・オズグッド(Kenneth Osgood)はTotal Cold War (2006)において、USIA・CIAなどの資料を活用し、アイゼンハワー政権の展開していた(日本も対象に含む)宣伝・情報戦の実態を解明することとなった[21]。冷戦での両陣営の対立の境界であるヨーロッパにおいては、ソビエト連邦を中心とした共産主義の陣営(共産圏)は、東欧に集まっていたことから東側、対するアメリカ合衆国を中心とした資本主義陣営は西側と呼んで対峙した。